1945年8月15日から間もなく75年。
今年は75年という節目の年だけに、マスメディアもさまざまな角度から伝えていますね。
実は私自身、祖父が妻と子どもがいる民間人でありながら召集令状が届き、出征。フィリピンのレイテ島で亡くなっているだけに、当時の映像や写真を見るたびに心がざわつき、複雑な心境になります。
それでも、今年ばかりはどれほど凄惨な映像、写真であっても目をそらさず、当時何があったのか、当時を生きた人々が何を思ったのかを心に焼きつけることが戦後75年の夏を生きる私たちの責務。そう思い、さまざまなドキュメンタリーを視聴してきました。
そんな中、私が毎日チェックしているのが、NHK広島放送局で6月から始まったプロジェクト「1945ひろしまタイムライン」です。
「日本が戦争をしていた1945年に、もしSNSがあったら、どんなことをつぶやいていたのかな?」という発想が原点。
1945年に広島に暮らしていた3人の市民の日記を手がかりに、2020年の広島で暮らすメンバーが、1945年の日記の日付に合わせて3つのアカウントで毎日発信しています。
ツイッターでつぶやくのは、中学1年生の男の子・シュンちゃん、32歳の新聞記者・一郎さん、26歳の主婦・やすこさんの3人ですが、私が気になるのは、やっぱりやすこさん。
プロフィールは、やすこさん(今井泰子):おなかに初めての赤ちゃんがいます。広島の緑井に疎開中。夫は出征中。1919年生まれ、26歳 と書かれています。
やすこさんは7歳から日記を書き続けていたそうで、日々の暮らしを丁寧につづっています。
例えば、8月5日の日記の原文がこちら。
【特に何をするという事もなく一日すぎてしまった。お掃除や台所のお手伝ひや医師会の用が次々と忙しかったので他の用は少しも出来なかった。もう赤ちゃんがよく動くので種々の用意も早くしなければと思ひつつ忙しさに取紛れている。けふは広島へ堀場のお姉様と病院のお姉様がいらっしやったので一層多忙を極めた。】
これが、やすこさんのツイッターでは…。
まるで、やすこさんがすぐ近くにいて、息遣いまで聞こえてきそうですよね。
3人の日記からツイッターに時代をワープさせる際、11人のメンバーが当時の新聞記事を読み、親族に聞き取りをした上で、3人の生活や人柄、世間の空気に想像を馳せながら日記の文章を変換する作業を行っているそう。
日記の文章を共感しやすい言葉に置き換え、同じ日付でつぶやくことで、1945年の夏の広島がこんなにも身近に感じられるのだと驚きました。
8月5日の翌日、やすこさんはどんな光景を目にし、何を感じたのか。そしてその後、どんな時間を過ごしいるのか…。
やすこさんのツイッターのつぶやきを通して、私も日々「想像力」を膨らませています。
もちろん、やすこさんも周囲の人も8月15日に終戦を迎えることなど知る由もなく、今日、1945年の8月13日を暮らしています。
私たちは8月15日が「終戦の日」と分かっているので、いつもこの時期、8月15日に向けてカウントダウンしていきますが、当時、未来が全く見えない中で生きることがどれほどつらく、大変だったことか…。
今日からお盆。
やすこさん・一郎さん・シュンちゃんのつぶやきを目にしながら、「戦争を知る人が少なくなった」と嘆くのではなく、「伝える方法はまだまだある…」と気づかされる毎日です。