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娘の不登校で気づいた、大切なこと。上園陽子さん vol.1

8月1日に開催されたカービングイベントを取材し、『鹿児島の女子高校生2人が、スイカのカービングを初披露!』という記事で紹介しましたが、その日、ある女性との出会いがありました。

スイカのカービングを披露する上園みのりさんの母・上園陽子さん(写真右)です。

実は現在、高校1年生の上園みのりさんは中学1年の時、不登校になりました。

娘の突然の不登校に心を痛め、あらゆる場所に相談したものの、解決の糸口を見つけられず、不安な日々を過ごしていた陽子さん。

「このままではいけない」と自ら行動し、不登校に対する考え方も娘への接し方も大きく変わった陽子さんは、「悩んでいるお母さんたちの役に立ちたい」と昨年からある活動を始めています。

みのりさんの不登校が始まって3年。

母親としての心の変化を教えてもらいたくて、陽子さんが暮らす鹿屋市を訪ねました。

「始まりは夏休み3日前でした」

看護師として働く上園陽子さんは、夫と娘2人との4人暮らし。次女のみのりさんが突然学校に行かなくなったのは、中学1年の夏休み直前のことでした。

「1学期の途中から『学校に行くとすっごくイライラする』と言い出してはいたんです。でも反抗期なんだろうと思って『みんな、そんな時期はあるんだよ』と聞き流していました。
夏休み3日前から学校を休んだ時も、きっと初めての中学校生活で疲れたんだろうから、夏休み、のんびり休んだら学校に行くはず…と深くは考えていなかったんです」

ところが、2学期が始まっても、みのりさんは学校に行こうとはしませんでした。

1週間、2週間と学校に行かない日が続き、さすがに陽子さんも焦り始めます。

「行かない理由を聞いても何にも話さないので、原因が分からないんです。学校からスクールカウンセラーを紹介されて家に来てもらったり、有料のカウンセリングを自分たちで受けてみたり、病院の心療内科も受診しました。フリースクールに出掛けても中に入れない。何一つうまくいかない状態が半年以上続きました」

身近に相談できる場もなく、月日だけが過ぎる中、陽子さんは仕事で出会った女性に「娘が学校に行かなくて…」と話したことがあります。

すると「なぜ学校に行かせようとしてるの? 死ぬくらいなら学校なんて行かなくていいのよ」と言われ、その言葉に衝撃を受けたそう。

「それまで学校に行かない選択があるって考えたこともなかったんです。学校に行くことが最終目標で、そのために何が必要か、ということばかり考えていました。でも、学校に行くことにこだわるあまり、結局一歩も前に進めなかった…。そのことに気づかされたんです」

経験者の話を聞くため、大阪へ

陽子さんはその女性から、不登校の保護者を対象にした「お話し会」が大阪で開かれることを聞き、勇気を振り絞って出かけました。

「初めて経験者の話を聞いたんですが、目から鱗でした。『学校に行くことにこだわるのではなく、子どもが笑顔を取り戻すためにできることをしましょう。そのためにまず大切なのは子どもを褒めることです』と言われたんです」

「そして『あなたは子どもを褒めてますか?』と聞かれてハッとしました。どんなことで褒めてますか?と聞かれてなんにも浮かばなかったんですよね」

経験者に「なんとかなるから大丈夫」と励まされ、子どもとどう向き合えばいいのか、ヒントをもらった陽子さん。

その日の夜から褒めることを始めました。

「小さなことでもいいから、娘のいいところを見つけて褒めるようにしました。『ご飯を全部食べられたね』『待っていられたね』とか、何でもいいんです。娘は最初『何言ってるの?』とけげんな顔をしてましたが、褒められて嫌な人っていないんですよね」

以来、陽子さんが心がけたのは一日3回、みのりさんを褒めること。

「褒めるために子どもをよく観察するようになり、子どものことを理解できるようになりました。すると、少しずつ娘の心が柔らかくなっていったんです。今まで私がどれほど褒めていなかったのか、思い知らされましたね」

親が変われば、子どもも変わる!

最終目標は学校に行くことではなく、子どもが毎日笑顔で暮らせること。
そして、親が変われば子どもも変わるー。

経験者との出会いを通して大切なことに気づいた陽子さんは、その後、あるコミュニティーの立ち上げに動き出しました。

その話は次回お伝えします。

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