全国に約1000人いる落語家のうち、女性はわずか50人ほど。そんな中、鹿児島初の女性落語家として東京で前座修業を続けているのが、三遊亭あら馬さんです。
昨年9月、あら馬さんの母・竹之内みどりさんに会い、記事「Cafe &ギャラリーバンブー」の竹之内みどりさんは鹿児島初の女性落語家の母!?」で紹介しましたが、あれから半年。
霧島市で開催される「春風亭昇太・桂竹丸二人会」に三遊亭あら馬さんが出演すると聞き、出かけてきました。
楽屋で人懐っこくも豪快な笑顔で迎えてくれた三遊亭あら馬さん。
鹿児島市出身で鹿児島大学を卒業後、東京でフリーアナウンサーや俳優の仕事を経験した後、結婚・出産。「上の娘が幼稚園の頃、ひょんなことから落語に出会ったんです」と話し始めました。
「それこそ、きっかけは幼稚園の保護者会。結婚出産後、久しぶりに人前で話したら、めっちゃ緊張して声が上ずったんです。独身時代、アナウンサーや女優をやっていた時は目立ちたがり屋で人前で緊張なんかしたことなかったのに、これはおかしい、と。それで以前所属していた事務所を訪ねてみたら、そこに『落語スクール』があったんです」
リハビリのつもりで落語スクールに通い始めるうち、一人で自作自演できる落語に夢中になったそう。
「落語をやってる時、すっごく楽しかったんです。アナウンサーの時は『この言葉は使っちゃダメ』と押さえつけられることが多くて、女優の時も『こういう風に演じて』と演出家に言われるわけです。それに比べて落語は自分で演出できてその場の雰囲気で自由に話せる。しかも長台詞を一人で話せるので気持ちよかったんですよね。これは天職だと思って、落語で生きていこう、と決めました」
39歳で入門し、前座修業
こうして、落語スクールの講師だった三遊亭とん馬師匠に弟子入りしたのが39歳の時。
一般的に20代で入門する人が多い中、39歳の入門は異例中の異例。しかも二人の娘の母親として小学校や中学校のPTA会長を務めるなど多忙を極める中、前座修業を続けてきました。
「落語の世界を全く知らずに入ったんで、入ってからが大変でした」とあら馬さん。
「私、男勝りで子どもの頃から男の子とけんかして負けたことがないんです。だから、この強気ならいける!と思ったんですが、落語の世界は強気じゃダメでした。完全に年功序列の縦社会、しかも前座は目立っちゃいけないんです」
前座修業は基本4年間。
毎日寄席に通い、楽屋ではお茶出しから雑用全てを担当し、開演すると前座を務め、出囃子の太鼓番に高座返しと大忙し。移動中やすき間時間を見つけて稽古に励む生活が続きます。
「運動会の日も途中で抜け出して寄席に行くようにしていました。でもお昼の寄席は12時、夜の部は16時からなんで、午前中うまくやりくりすればやっていけるんです。この春から高校1年と中学1年になる娘二人も『笑点に出るお母さんを見たいから頑張って』と応援してくれるので続けてこれました」
二ツ目昇進で一人前の落語家へ
フットワークが軽く、前座として笑いもしっかりとれることから、今では多くの師匠から引っ張りだこのあら馬さん。
5月に落語芸術協会の二ツ目に昇進することが決定し、5月21日から東京の新宿末廣亭を皮切りに披露興行が始まります。
「二ツ目が近づいたら、師匠たちが『お前、黒紋付きや手ぬぐいは作ったか』と声をかけてくれたりして急に優しくなりました。ようやく落語界の一員として認めてくれた感じ。私も4年間前座修業を続けたことで、寄席の文化はすごいなあと体に染み込んできた気がします」
今後、あら馬さんが目指したいのは、女性というくくりに縛られることなく、子どもや母親世代にも楽しんでもらえる落語家。
「三遊亭小遊三師匠の稽古でも『お前は中性的だからそのままでいいな』と言ってもらえたので、女流という枠にとらわれず、ありのままのおばちゃん落語家でやっていきたいと思います」
そんなバイタリティー溢れるあら馬さんの昇進を誰よりも喜んでいるのが、母親のみどりさん。鹿児島で後援会事務局を立ち上げて応援してきただけに、感無量です。
「娘が上下関係の厳しい世界でかしずくことができない性格だということは母親の私が一番分かっているので、いつか我慢できずにやめてしまうんじゃないかと思ってたの。だから、よくぞ4年間踏ん張った!と見直しました」
晴れて二ツ目に昇進したら、鹿児島で定期的に寄席を行っていきたい、とあら馬さんの故郷への思いは人一倍。
「落語っておじいさんが淡々と話すだけじゃないんだよ、ということを鹿児島の人にも伝えていきたいので、マジックあり、漫才あり、太神楽ありの面白い寄席を鹿児島でやるのが夢なんです。子どもや母親の人たちにもどんどん来てもらって落語の敷居を下げていきたいですね」
5月の二ツ目の披露興行を前に、44歳の誕生日を迎える三遊亭あら馬さん。
遅咲きの落語家だからこそ見える景色を楽しみながら、今日も芸を磨き続けています。