先月、「食酒楽 哲太」の女将・高橋生美さんにポテサラづくりのコツを伝授してもらい、「かごじょプレス」で紹介しましたが、さすがはプロのテクニック!
我が家でもプロのアイデアがプラスされたポテサラが大好評。私もポテサラづくりが段々楽しくなって、このところ、週1ペースでポテサラが登場しています。
実は今まで、他のサラダに比べて一手間もふた手間もかかるポテサラ作りは億劫で敬遠してきた私。
だってスパサラならパスタを茹でるだけで済むのに、ポテサラは茹でた後に潰して粗熱を取る手間が加わるから。
週1ペースで作る今は
- ポテトは皮を剥いてから茹でて時間短縮
- 具材は欲張らず、キュウリとカニ玉の2種類に絞る
- 味の決め手となる「和がらし」と「ノンオイルドレッシング」だけはそろえる
この3つに徹した楽ちんポテサラにしています。
その時の記事はこちら⇨「女将直伝! いつものポテサラを身近なスパイスで格上げ」
そんな中、今月、ツイッターでのあるつぶやきが話題となって巻き起こったのが「ポテサラ論争」。発端となったみつばちさんのつぶやきがこちらです。
「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」の声に驚いて振り向くと、惣菜コーナーで高齢の男性と、幼児連れの女性。男性はサッサと立ち去ったけど、女性は惣菜パックを手にして俯いたまま。 私は咄嗟に娘を連れて、女性の目の前でポテトサラダ買った。2パックも買った。大丈夫ですよと念じながら。
このつぶやきに、「高齢男性のデリカシーのなさがすごく失礼!」「『母親なら』って言うけど、手作りがどれだけ大変か分かってる?」といった声が続々。「本当にポテサラって手間がかかる惣菜なのか」「高齢男性はなぜ失礼な物言いをするのか」など、さまざまな視点からメディアにも取り上げられ、「ポテサラ論争」と呼ばれるまでに発展しました。
この論争、「ポテサラ」を実際に作ったことがあるかないかで受け止め方がまるっきり違うんですよね。
作ったことがない人にとっては、ポテサラはさっと作れる居酒屋の「お通し」レベル。だから苦言を呈したくなるのもなんとなく分かる。
一方、作ったことがある人にとっては、ポテサラの手間のかかりようが分かっているし、ポテサラが決してメインディッシュにならないことも分かっているから、カチンとくる。
そう! ポテサラは多くの人に愛されているのに、いくら手間をかけても、決して主役にはなれない一品なんですよね。
しかも今回のエピソードで多くの人が心に引っかかった「母親なら」という言葉。心の中でどんなことを思おうが自由だけど、誰かに自分の考えを投げかける時、「想像力」や「共感力」が欠如した発言は絶対にタブーだよね、と多くの女性が感じたことも大きな波紋につながっています。
私たちは自分がリアルに見た世界の中で感じたことしか信じられないことが多いけれど、全くつながりのない人に言葉を発する時こそ一旦立ち止まり、想像力を膨らませ、一呼吸置いてから言葉を発するのがマナーだということ。
もちろん、想像力や共感力が欠如した言葉がダメなのは、男性も女性も関係ありません。
今回はたまたま男性から女性に向けられた言葉だったけれど、私たち女性も「男性は一家の大黒柱として責任感を持つべき」とか「男性は強くなきゃ」とか、偏った見方で男性を一括りしていないか、わが身を振り返ることも大切ですね。
まあ、今月突如始まった「ポテサラ論争」のおかげで、「ポテサラは決してさっと作れる惣菜ではない」と多くの人が思っていることが分かり、「なんだ、私だけじゃなかったんだ」とほっとした私。
手間はかかるけど、得意げにポテサラを作れるって、まんざら悪くないかも…と思う今日この頃です。