10年の節目に「何を伝えられる?」

春の訪れとともにキッチンのオレンジミントがぐんぐん成長し、窓のある左の方へ、左の方へと葉を伸ばしています。

ハーブって生命力が強いですね。

家でリラックスしたくなるとミントの葉を親指と人差し指ですり合わせ、鼻先に持っていってはふ〜っと深呼吸。ミントの香りに癒されながら、ハーブのたくましい生命力に元気をもらう毎日です。

さて、今日は3月11日。
東日本大震災から10年たちました。

テレビ・新聞をはじめ、さまざまなメディアが震災から10年という大きな節目にさまざまな角度から取材し、報道しています。

震災の記憶を風化させず、震災で得た教訓を次の世代に伝えていくことはとても大切なこと。でもその一方で、震災を経験した方たちが10年の節目をどう迎え、どう過ごしているのか、「震災経験者の今」に焦点を当てて伝えているニュースや記事を目にすると、疑問符が膨らむ自分がいます。

10年の節目に伝える必要性と「節目だから」と取材することでの自己満足の境はどこにあるんだろう…。そして鹿児島で情報発信している私は何を伝えられるのだろう…。

答えが見いだせずにいた矢先、私は偶然、一人の女性と出会いました。

福島県双葉町、福島原子力発電所からわずか1kmの場所に住んでいた彼女は震災後、「陸続きで一番遠い場所を目指そう」と縁もゆかりもない鹿児島に移住。4年前にご主人が亡くなり、末っ子の小学生と2人で暮らしています。

彼女のもとには3月11日が近づくにつれて取材の依頼が次々に入り、連日取材を受けている真っ最中でした。

「震災から10年というより『10周年祭』って感じ。私たちにとって10年たったからどう…という思いはないんですけどね」

私は「10周年祭」という彼女の言葉を耳にした途端、震災のこともご主人のことも彼女が今どんな思いでいるのかも聞くのをやめました。

きっと3月11日を過ぎると、震災に関するニュースはぱたりと減るでしょう。でも震災後、住み慣れた故郷を離れ、鹿児島で暮らす中で10年の節目を迎えた彼女にとって、明日からの生活は何も変わりません。

もし、彼女に話を聞くことができるのなら、10年の節目とは関係ない時期に、違う切り口にしよう。タイムリーなメディアには程遠いけど、インタビューを受けてくださる方に寄り添って発信を続けていこう。そう思います。

先日、東日本大震災で行方不明になっていた宮城県東松島市の当時61歳の奥山夏子さんが遺体で見つかり、遺族の元に返された、というニュースがありました。

両親と3人暮らしで震災後、父親も亡くした長男の秀樹さんは「10年間捜索された方々に大変感謝しています。母がいなくなってから相談したい時や頼りたい時が数多くありました。今後は私一人でも前を向いて生きていきたい」と話されたそう。

震災から10年。
行方不明者が2525人に上ることを私たちは忘れてはいけない、と改めて思います。